フジ月9ドラマ『監察医 朝顔』の原作コミックを手がけた、佐倉市育ちの漫画家 木村直巳さんインタビュー更新日:2019年07月30日

 フジテレビで現在放送中のドラマ『監察医 朝顔』(月曜夜9時〜)。その原作コミックの作画を手掛けている漫画家が佐倉市で活動されています。木村直巳(きむらなおみ)さんは、東京都生まれで佐倉市育ち。高校1年生の時に漫画家デビューを果たし、その後約40年にわたり様々なジャンルの漫画と魅力あふれるキャラクターを描いている木村さんにお話を伺いました。

――漫画家になろうと思ったきっかけは?
小学校2年生のときに石ノ森章太郎先生が描いた『マンガ家入門』という本をおじいちゃんに買ってもらったんです。マンガの描き方の本なんですけど、これを見て漫画家になりたいなと思って、それからです。
石ノ森先生が27歳という若さで書かれたこの本の中に『竜神沼』という作品があり、これが僕を決定的に漫画に夢中にさせた作品で、見事な叙情の世界なんです。これを読んで、「こういうすごいものがあるんだ」って、漫画を描いていこうと思いました。当時はまだ小学校2年生だったからちゃんと読み切れてなかったんですが、僕が買った本の中で一番何度も何度も繰り返し読んで、身に着けていったと思うんですよね。それが無ければ僕は漫画家になっていなかったと思います。

――漫画家を志したときの周りの反応は?
物語をつくるのが好きだったので、ずっといろんなお話を頭の中で考えていました。それをノートにコマ割って描き始めるのが小学校3、4年生くらいからかな。親が銀行員なので、なんかうちの子変なことはじめたなって思っていたんじゃないでしょうか。お小遣いが全部漫画の単行本になっていたので「漫画ばっかり読んでるんじゃない!」って怒られていましたけど、描くことに関してはわりと寛容で、父に連れて行ってもらってアニメ会社に原稿を持っていき、見てもらったりもしました。
そして中学校3年生のときに描き上げた作品を、『月間マンガ少年』っていう『火の鳥』などが連載されていた本に投稿して、受賞したのが高校1年生のときでした。

――『監察医 朝顔』の見どころを教えてください。
連載が始まる前に「監察医」というものを初めて知りました。当初は、ベテラン法医学者の父と、法医学を目指す娘の設定でネーム(注)を描いたのですが、編集者に香川まさひとさんという優秀なシナリオライターを紹介してもらって2人で作ることになりました。とにかく最初から思っていたのが、テレビドラマのホームドラマみたいな雰囲気の中に主人公を置きたいということ。だから、すごく昭和テイストなんです。わざわざそれを設定しました。

(注)ネーム…漫画を描く際に、コマ割り、配置、セリフなどを大まかに表したもの。

――思い入れのあるシーンは?
週刊連載だったんですが、後半、朝顔が妊娠して赤ちゃんが生まれるまでの話を9か月かけて描きました。回を重ねるごとにどんどんお腹が大きくなっていく様子を描いたんですよ。自分としてはちょっと自慢なんですが、おじさん雑誌だったので、誰も話題にしてくれなかったんですけど(笑)
あと、ゲストの登場人物が出て、それは赤ちゃんポストの話とか、いじめの話とか、ありとあらゆるテーマが描かれているんですけど、それぞれがいい話です。こういった社会問題を取り上げようと思ったのは、漫画家には訴えかけることしかできないから。こういう問題提起をして、みんなで考えましょうって叩きつけられればいいなって考えていました。今読んでも古くなっていないテーマが多いので、読んでもらえたら嬉しいです。

――ドラマ化に期待することは?
7年も前に終わった連載だったので、出版社からドラマ化の連絡が来たときに、嘘だと思いました。でも、どうやら本当らしいなというので、進行していくのを半信半疑ながら傍で見ていたんですけど、もう、夢でなければいいなっていう状態でした。具体的に進行してくると、ああ本当だったんだなって実感するようになりました。ドラマでは、ちょっと設定も含めてアプローチが微妙に違うと思うんですよね。そこは自由にやってもらって、それでドラマを観た人たちに漫画の方も読んでもらいたいなと思っています。

『監察医 朝顔』って、阪神・淡路大震災が元々大きなテーマだったんです。ところが連載中に東日本大震災が起こった。僕は両親とも東北の人間ということもあって、石巻にある石ノ森先生の漫画館がオープンする前から関わっていました。石巻の人たちは仲間だったので、震災のときは本当に心配したし、なんとかならないかなと思って色々やりました。
石ノ森漫画館がオープンするときに石巻の歴史を描き下ろししたんです。このご縁からずっと付き合いがあって、後に震災復興のために漫画館の人たちが作った「マンガッタン」っていう本があるんですが、震災復興の話をこの第1回目の話として描かせてもらいました。
今回『監察医 朝顔』のドラマで、東日本大震災のこともすごく大きなテーマとして出してもらえることになって、たまたまなんですけど、本当にありがたかったです。

――監修として法医学の先生が関わっていますね。
本当にネタの宝庫でした。佐藤喜宣先生は本当に素晴らしかったですね。佐藤先生はいま、虐待の専門家として活動していると思うんですけど、その分野にも真っ先に目を付けました。だから『朝顔』にもしょっちゅうそういう話は出てくるんですけど、あれはプロの目ですよね。すごく勉強になりました。

――今手掛けている漫画について
1つは「銭形平次捕物控」。これは、テレビドラマで昔大人気だった銭を投げる岡っ引きの話です。野村胡堂さんの原作で、僕がアレンジを加えたものを隔月刊ですけど連載しています。それともう一つ今始めているのが、まだ公表できないですけど、香川まさひとさんの原作で、一緒に旅グルメ漫画を描き始めています。やがて世に出ると思います。

――佐倉の魅力は何でしょうか?
僕が佐倉に引っ越してきたのは小学校2年生ぐらいだったんですけど、そのときは近所に沼があったり、とんでもない田舎だったので、「どうしよう、こんなとこ来ちゃって」って思ったんですよ(笑)
ですが、幕末が大好きで後々色々調べると堀田家がよく出てくるんですよね。西洋に精通したお殿様だったので。佐倉に対する興味っていうのはまだ勉強中ですけど、是非漫画にもしてみたいなと思います。順天堂の関係もありますし。もっと観光地になってもいいと思いますね。
歴史漫画は得意ジャンルなので、何かあったらお願いします。貢献したいですね。

――漫画を描く中で佐倉の風景を描いたことはありますか?
デビュー当時の僕の作品は、ほとんどまだ田舎だったころの佐倉の風景ですね。坂道が多いじゃないですか。目の前にこんもり森があったりするのとか、踏切とか。佐倉の風景をいっぱい描きました。

――漫画家になって良かったことは?
物理的に得たものは何にもないんですけど、漫画家の仲間がいっぱいいて、彼らと一緒にお酒を飲んだり、くだらない話をしているのが一番幸せです。みんな同じように漫画しか描いてないので、彼らといるとすごく楽ですね。本当に幸せを感じます。戦友ですね。

木村 直巳 昭和37年生まれ。
昭和53年、「マンガ少年」に掲載の『最後の妖精』が新人賞佳作に入選し、デビュー。主な作品に『ダークキャット』、『イリーガル(原作:工藤かずや)』『監察医朝顔(原作:香川まさひと)』ほか。平成15年『てんじんさん』で第7回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。現在、「漫画『時代劇』」にて『銭形平次捕物控(原作:野村胡堂)』連載中。

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※8月1日に公開されます

■「さくら動画配信」(Youtube佐倉市公式チャンネル)でもインタビューをご覧になれます!
https://youtu.be/8gYDv1iZF8M

■木村直巳さんホームページ
http://naomipro.com/

■フジテレビ『監察医 朝顔』公式サイト
https://www.fujitv.co.jp/asagao/