21歳で女性ビール醸造家の道へ! 佐倉のクラフトブルワリー「ロコビア」鍵谷百代さんインタビュー更新日:2019年06月07日

佐倉市生まれのケルシュビール「佐倉香りの生」。世界最大級のビールコンペティションであるワールド・ビア・カップで何度もメダルを受賞している、佐倉市が誇るクラフトビールです。それをたったひとりでつくっているのが、醸造家・鍵谷百代(かぎたにももよ)さん。この道21年の彼女がどんな経緯でビールづくりに携わることになったのか、ブルワリー(醸造所)におじゃましてお話を聞いてきました。

勤務先の社長からの突然のオファー

酒販店「シモアール」ユーカリが丘店の奥に、仕込み釜や発酵タンクがひしめく醸造室があります。この場所で1998年からビールをつくり続けている鍵谷さん。つくり始めた当時、鍵谷さんはなんと21歳。「その頃はビールは苦くて好きじゃなかった」と笑いながら振り返ります。

――なぜビールづくりに携わることになったのですか?
鍵谷:話すと長くなるんですが…(笑)。「シモアール」を運営する下野酒店に、最初は事務員として入社しました。その後、店内の一角に化粧品・アクセサリー・ブランドバッグなどの販売コーナーが設けられることになり、そこの担当を任されたんです。仕入れから販売や管理までひとりでやって、狭いスペースにもかかわらず1日100万円くらい売り上げていました。もともと動きのある仕事が好きだったので、すごく楽しかったんですよね。

社長から「ビールをつくってみないか」と言われたのは3年目のとき。会社ではすでに「房総ビール」というブルワリーを立ち上げていたのですが、「女性醸造家がつくる女性のためのビール」をコンセプトに2軒目を立ち上げたいという構想があり、二人しかいなかった女性社員のうち私に声がかかったんです。

最初は「え? ビールをつくる!?」と理解できませんでした(笑)。化粧品コーナーの仕事にやりがいを感じていたし、日本酒やカクテルは好きでしたが、ビールは子どもの頃に麦茶と間違って飲んだことがあって苦手だったので。3ヶ月くらい悩みましたが、「いつかビールを好きになったときに、『あのときやっておけばよかった』と後悔するのは嫌だ」と思い直し、最終的にチャレンジすることに決めました。

――21歳ですごい決断力ですね!
鍵谷:もともとチャレンジ精神旺盛な性格なので、「これはチャンスなのかも」とだんだん思えるようになりました。でも、最初の頃はわからないことだらけで、毎日泣いていましたよ(笑)。母からの「何事も三日・三月・三年」という言葉を励みになんとかがんばりました。

――これらの設備は1998年当初からあったものですか?
鍵谷:いいえ、翌年の1999年に設置したものです。ビールづくりには「麦芽粉砕」「糖化・ろ過・煮沸」「発酵・熟成」という工程が大まかにあって、麦汁をつくる「糖化・ろ過・煮沸」の部分を仕込みと呼ぶんですが、最初の1年は濃縮された麦汁を仕入れてビールをつくっていました。つまり、仕込みの工程がなかったんです。

香りや苦味をつけるホップもすでに入っている麦汁だったので、味はある程度決まってしまっていて、工夫できるとすれば酵母の種類を変えるくらい。それでもがんばってつくっていましたが、イベントで販売してみたらお客さまからの評価はボロボロで…。すごくショックでしたね。

そこで、全工程を自社でやろうと一念発起。当時の日本は地ビールブームでうちは完全に後発だったので、サントリーのチームに設備コーディネートから製造指導までサポートしてもらい、土台を固めるところから始めました。「モルツ」や「ザ・プレミアム・モルツ」をつくったブルワー(醸造家)の山本隆三さんには、何度もここに来てもらって指導いただきました。

設備を一新し、再スタートを切ったロコビア

――新しい設備で最初につくったビールは?
鍵谷:現在のうちの代表的な商品「佐倉香りの生」です。ドイツ・ケルン地方特産のケルシュ・ビールというスタイルで、ほのかなフルーツの香りと口当たりのよさが特徴。地元のお客さまに喜んでいただけるように、誰もが好みやすい味にしようとつくったものです。

仕込み作業は、10時間ノンストップで続けなければいけない重労働。仕込みのときだけ社長が手伝いにきてくれましたが、それでも20代前半の私にはとても大変な仕事でした。

――ビールづくりが楽しいと思えるようになったのは、いつ頃からですか?
鍵谷:3年くらい経ってからですね。ようやく作業に慣れてきて、楽しむ余裕が出てきました。もともと香りのあるものが好きだったので、ビールも好んで飲むようになりました。

あとは、お客さまの反応も励みになりましたね。イベントなどでうちのビールを手にしたお客さまが、ひとくち飲んでふっと笑顔になる瞬間があるんですが、それを目にしたときは最高に嬉しい。人間って正直だから、おいしいものを口にすると顔に出るんですよね。「がんばってよかった!」と心から思えます。

夫と出会ったのもちょうど3年くらい経った頃でした。当時彼は大学の先生をしていたんですが、ビールを飲みに毎年アメリカに行くくらいビールが大好きで、趣味でビールの情報サイトもつくっていて。それを見たサントリーの方が「このサイトは勉強になる」とうちの社長に勧めたのがきっかけで、やりとりするようになったんです。

その後、彼とそのビール仲間たちが「オリジナルのビールをつくりたい」ということで醸造所に訪れ、彼らのレシピで私がビールをつくる、というのを3ヶ月に1回やるようになりました。全部で20種類くらいつくったかな。

――日本ではお酒をつくるのに免許が必要だから、鍵谷さんに製造を委託していたということですね。
鍵谷:はい。でもアマチュアの人たちってすごくビールに詳しいから、私も勉強になりました。アメリカでクラフトビールがブームになったのは、そういうマニアックなアマチュアがいたから。日本では酒造免許が必要だし、大手メーカーはどうしても万人受けする味にしがちなので、クラフトビールにおいて日本は10年も20年も出遅れているんです。ただ、最近は大手も派手につくってきていて、本気を感じます。これからますますおもしろくなりそうですね。

世界中の女性醸造家による、女性のためのビールプロジェクト

毎年3月8日の「国際女性デー」にちなみ、世界中の女性醸造家が同じテーマでビールをつくるというユニークな取り組みが開催されています。これは、ビール業界で働く女性を支援するアメリカの団体「Pink Boots Society(ピンクブーツソサエティ)」が主催するもの。今年で6年目の参加という鍵谷さんは、今年製造したビールを特別に試飲させてくれました。

――トロピカルな味わいですごく飲みやすいですね!
鍵谷:実は焼いたココナツを香りづけで使っているんです。ピンクブーツブレンドホップというホップを使うことが条件だったのですが、このホップもすごくよくて、爽やかな甘みのあるIPAに仕上がりました。

――このプロジェクトにはどんな経緯で参加されたのですか?
鍵谷:代々木にあるクラフトビアバー「Watering Hole(ウォータリング ホール)」の筒井オーナーが私と同い年の女性で、「ビールに関わる女性たちで参加しよう!」という話になったんです。利益の一部は団体に寄付され、ビール業界の女性支援に使われるので、絶対に参加する価値があると思い参加しました。

でも、現在日本で参加しているブルワーは私だけ。ロコビアを始めた当時に比べれば女性醸造家は増えているのですが、限定ビールを製造するとなると手間がかかることもあり、日本ではまだまだ浸透していないのが現状です。ひとりでも多くの方に賛同いただき、一緒にプロジェクトを盛り上げていけたら…といつも思っています。

――チャレンジングな姿勢が印象的な鍵谷さんですが、最近チャレンジしていることはありますか?
鍵谷:日々チャレンジだと思っていますが、2012年に下野酒店から独立してからは、ますますチャレンジの毎日です。「ボトルコンディションビール」をつくったり、寝かせて香りづけをしたり。「最近ロコビア変わったね!」とお客さまにも言われたくらい、いろんなことに挑戦してきました。

あとは、佐倉市の農産物とのコラボもしています。ブルーベリーやブラックベリーのフルーツビールをはじめ、佐倉市で農業を営む「たに農園」の麦を使ったビールも。仕込みの際に出る麦芽のかすを農園の堆肥にしてもらうなど、原料を無駄なく活用しています。

みんなと同じことをしていても仕方ない。他社がつくっていない、私ひとりだからこそできるビールをお客さまにお届けしていきたいと思っています。

鍵谷さんを突き動かす、「とにかくやるしかない!」精神

――佐倉市は「佐倉で才能が開花する」というメッセージを発信していますが、鍵谷さんが女性醸造家として走り続けてこられた秘訣はなんでしょうか?
鍵谷:ロコビアのビールは、私がいなければお客さまのもとに届かない。ひとりだから、とにかくやるしかないんです(笑)。

昨年、父が倒れて、その翌日に仕込みの心臓部である冷却装置が壊れるという事態が起こりました。本当につらかったけど、いろんな人の協力を得て醸造所は1ヶ月のストップで済んで、なんと父も1日違いで無事退院。「とにかくやるしかない!」とがむしゃらにやっていると、まわりの方々が助けてくれたり、偶然とは思えない運がめぐってきたりするんですよね。

独立の判断を迫られたとき、夫が「俺が手伝えばできるのか?」と言ってくれて、いまは土日だけ経理などの事務関係を担当してくれています。ビールをつくるのはひとりだけど、夫の存在があるから本当はひとりじゃない。そのことも支えになっています。

――最後に、いまのいちばんの目標を教えてください。
鍵谷:偶数年にアメリカで開催されるワールド・ビア・カップでゴールドを受賞すること。「佐倉香りの生」を出品して連続でメダルをいただいたのですが、ゴールドはまだなんです。去年はファイナルラウンドまで行って、「私がやってきたことは間違っていなかった」と自信を持つことができたので、2020年はゴールドを目指してがんばります!

ちなみに、Local Beerが由来の「ロコビア」ですが、カタカナで書くと11画で、鍵谷さんの名前の「百代」も11画。彼女の名前に合わせて創業時に社長がつけてくれたのだそう。いまでもその名を大切に使い続けている鍵谷さんが、「私だからこそできるチャレンジ」でこれからどんなビールをつくっていくのか、楽しみです。

鍵谷 百代
1995年下野酒店入社。本社での事務、化粧品やアクセサリーの販売コーナー担当を経て、1998年にロコビア醸造長就任。2012年に独立し、合同会社ロコビアを設立。ワールド・ビア・カップをはじめとするコンペティションでメダルを多数受賞している「佐倉香りの生」ほか、「スーパーセゾン」「印旛」などを醸造。