ミュージカル『レ・ミゼラブル』のコゼット役で鮮烈なデビューを飾る!熊谷彩春さんインタビュー更新日:2018年09月19日

帝国劇場ミュージカル『レ・ミゼラブル』のコゼット役を史上最年少で射止めた熊谷彩春(いろは)さん(18)。「佐倉の自然の中で過ごした子ども時代が、今の自分の感性を作っている」と話す熊谷さんに、ミュージカルとの出会いや、ミュージカル俳優として見据える未来について伺いました。

―ミュージカルとの出会いについて教えてください。

初めてミュージカルを観たのは、2歳のときです。父の転勤により、2歳から4歳の3年間をイギリス・ロンドンで過ごし、ウェスト・エンド(ロンドンの劇場地区。ニューヨークのブロードウェイに並ぶ人気エリア)でミュージカルを観劇。そのエネルギーに衝撃を受けたのか、以来、自宅のソファを舞台に見立てて、ずっと歌って踊っていたと母が話していました。

歌うことは、私にとってごく自然な感情表現の一つで、小さいころから、うれしくなったり楽しくなったり感情が高まるといつも歌っていました。5歳で地元・佐倉に戻ってきてからバレエやピアノを習い始め、小学4年生からは都内のミュージカルスクールに通うように。小学校卒業時には「ミュージカル俳優になりたい」と作文を書くほど、私がやりたいのはこれだと明確な思いがありました。

(3歳のころ。近所のバレエ教室で楽しく遊びながら踊っていました。 教室に見学に来ていた父兄の方からは「most talented!」と言われたそうです。)

 

―「ミュージカル俳優になりたい」と思いが明確になったきっかけは何でしたか?

通っていた小学校(小竹小学校・佐倉市ユーカリが丘)で、友達とミュージカルごっこをして遊んでいて、その原体験は大きかったと思います。たまたま、同学年の友達がみんな歌うことが大好きで、昼休みに集まっては自分たちでミュージカルを作り、下駄箱の前のちょっとしたスペースを舞台にしてミュージカル公演をしていたんです。『アニー』を参考に、勝手にスクリプトを書いて、配役を決めて、練習して、発表会をするところまで、すべて自分たちでやっていました(笑)。メンバーは、クラスをまたいで13人くらい。公演になると他の学年の子たちも見に来てくれて、ミュージカルの楽しさに夢中になっていました。先生たちが手や口を出すことは一切なく、子どもたちが好きなようにやっているのを見守っていてくれた。本当に素敵な小学校でした。

 

―「ミュージカル俳優になる」という夢を手繰り寄せる上で、ターニングポイントとなった出来事は何でしたか?

一つは、父の転勤で、中学入学と同時にマレーシア・クアラルンプールに引っ越して2年間を過ごしたことです。引っ越す前は、「佐倉に残って、ミュージカルスクールで基礎を練習したい」「発表会に出て舞台の経験を積みたい」と、両親に泣いて反対しました。でも、クアラルンプールに行ったことで、ブロードウェイの歌唱指導をする先生に出会いレッスンを受けたり、通っていたインターナショナルスクールで歌を披露する機会をいただいたりと、経験の幅がぐんと広がりました。「ミュージカル俳優になりたいなら、基礎となるクラシックを学びなさい」と助言してくれ、帰国後に本格的に声楽を学ぶきっかけを与えてくれたのも、クアラルンプールの先生があってのことでした。

佐倉に戻ってからは、八千代在住の声楽家・前田地香子先生に師事。中学3年時には、東京国際声楽コンクール(ミュージカル・オペレッタ部門)で、史上最年少で全国1位をいただくこともできました。

ふたつ目の大きな出来事は、高校2年生に参加した、アメリカ・バークリー音楽院の夏季講習です。講習中に、ブロードウェイの主演女優さんから直接個人レッスンを受けられるワークショップがあり、100人の参加者からオーディションで5人の中に選ばれ、受講の機会を手にしたんです。そこで、「あなたにはすばらしい才能がある。歌に関して教えることはないから、演技指導をしましょう」と言っていただきました。先生のその言葉は本当にうれしくて、もしかしたら俳優としてやっていけるのかもしれない、今すぐにでもやってみたい、という思いが一気にふくらんでいきました。帰国後すぐに東宝芸能(現在の所属事務所)のオーディションを受けましたが、アメリカに行っていなければ、そのタイミングで挑戦しようとは思わなかったと思います。

 

―その後、帝国劇場ミュージカル『レ・ミゼラブル』(2019)のコゼット役を史上最年少で射止めました。夢のスタート地点に立てた理由は何だと思いますか?

小さい頃から、出会ってきた人全員が応援してくれて、反対する人が一人もいなかったことです。「ミュージカル俳優になりたい」なんて言ったら、「もっと現実を見なさい」とか「一握りの人しかなれないからやめておけ」とか、否定的なことを言う人がいてもおかしくなかったと思うんです。でも、家族も友達も、学校の先生たちも全員が背中を押してくれた。マレーシアから帰国して編入した中学校(井野中学校・佐倉市ユーカリが丘)でも、昼休みになると友達が「歌って!」と集まってきてくれて、歌を披露したら「すごいね! 本当に応援しているからね」と言ってくれました。コゼット役が決まったことも、自分のことのように喜んでくれる友人がたくさんいて、みんな本当にあたたかいんです。好きな道をのびのび歩めた環境があって、今の自分があると心から思います。

 

―熊谷さんにとって佐倉の魅力とは?

人のあたたかさと緑の豊かさです。小学生時代は、学校帰りに大声で歌いながら、森や林の中に入っていて寄り道を楽しんでいました。本格的に歌を学び始めた中学生になってからは、実家のすぐ近くにある田んぼの中が練習場所に。クラシックの声楽は、声量がかなり出るので、家で練習をしていると近所迷惑なんです(笑)。田んぼの真ん中に立って歌っては、何十メートルも離れた場所に設置したレコーダーで自分の歌をチェック。発表会やコンクール、オーディション前はもちろん、普段の基本練習でも、毎日1時間ほど外で歌い続けています。ときどき、近所の方が「お、また練習しているな」とか「歌声が聞こえてくるな」という感じで、見に来て手を振ってくれます。

 

―これからの目標と、目指すゴールを教えてください。

まずは、いただいたコゼット役に全力を注ぐことです。オーディションを受けるにあたって『レ・ミゼラブル』の映画や原作を読み、コゼットに関する部分はマーカーで線を引いて何度も読み込みました。それでも理解は20%にも満たないくらい。「このセリフを言われたときのコゼットの気持ちはどんなだろう」と感情を一つひとつ丁寧に積み重ねるように理解していかなければ、きちんと演じられないはず。本稽古が始まるまでに、もっともっと研究していきたいです。

あと、実現したいのは、佐倉市内の音楽ホールでのコンサート! 20歳の誕生日に公演を開いて、今まで応援してくれた人たちに感謝を伝えたいと思っています。

将来は、ミュージカル俳優として国内で活躍できる存在となって、いずれ実力をつけて海外にも挑戦したいです。やっぱり、見据えているのはブロードウェイ。まだまだ遠い先にある夢ですが、人生を賭けて目指したいステージです。